Posted 2 Jul, 2020

Porsche 911(992) Carrera S (8DCT)

はじめに

ポルシェの人々も苦労しているな、という思いが第一印象。

かつてポルシェは、シートに体を沈め、アクセルとクラッチを同調させつつ動き出す、その瞬間から「スポーツカー」であった。そのエッセンスが消えるのは何故か? 薄れるのは何故か? これは我々にとっても大きなテーマである。

思い介せば997から991へと開発が進んでいた頃、ポルシェの開発中枢であるヴァイザッハを訪れたことがあった。

当時、ヴァイザッハの指揮官はディルハイマー、BMWでモーターサイクルの開発プロジェクト管理を経験したところから転職してきたという人物であったが、私からの「今日、エンジン出力や最高速、旋回限界Gなどの性能指標が高ければスポーツカー、ということにならない。それならば今、そしてこれから、スポーツカーの定義とは?」という質問に対して、「性能指標でスポーツカーを定義できないことは合意」と言いつつも、それ以上の明快な答を持ち合わせてはいなかった。

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「万人に乗りやすく」、言い換えれば「運転が下手、あるいは粗雑な人々にとっても、扱って破綻のないクルマ」を作ることが、必ずしもスポーツカーとしてのエッセンスを失うことにつながらないのは、稀ではあるけれどもいくつかのプロダクツが証明していることではある。ポルシェにして、それは至難の業なのか。その答を見出すことは難しい。

私自身は、ディルハイマー氏への質問を投げかけた時すでに、その答の片鱗を見つけていたと思う。今はそれが確信に進んでいる。ならばポルシェにとって「スポーツカー」の実現が難しいのはなぜか。ポルシェ以外にも様々なエキゾティックカー、スーパー・パフォーマンスカーを作る大小のメーカーが林立する中で、彼らのほとんどにしても同様なのはなぜか。それはすなわち今日の世界で、これだけの金額をクルマという商品に投じる人々の多くにとって、「ドライビングというスポーツ」は価値を持たない、か、あるいはその意味を知らない、という事実に行き着く。あるいは事実ではなく、マーケティング・データとされる表層的な数字の幻なのかもしれない。かつては、それも20年ほど前までであれば、ポルシェに、あるいはフェラーリに乗って、ブランド云々以前に「ドライビングというスポーツ」を言葉にせずとも実感し、そこに人生の歓びを見出す人々はいた。顧客の一部だけであったとしても、そうした人々が「スポーツカー」へのリスペクトを牽引していたのである。しかし顧客も自動車社会の質も移り変わり、そうこうしているうちに、クルマ作り組織の中から「ドライビングというスポーツ」を体現しうる資質を生み出す人々が消えていく。そういう現象が今まさに進行しているのではないだろうか。だから我々は、味見の中でも「ドライビングというスポーツのための手具」としての資質を持つクルマを見出し、それを語り、伝えひろめてゆく努力を続けなければ。

超偏平・超広幅タイヤへの疑問~まず、舵の感触

抽象論はこのくらいにして、この車に乗ってまず感じるのは、なぜこんなサイズのタイヤを履かなければならないのだろう、というところから始まる。そしておそらくこれが「ドライビングと言うスポーツ」を実感することを難しくする最大の要素なのかもしれない。それは走り込むにつれてさらにはっきりしてくる。

前型(991)では、日常的な領域の操舵感、フロントタイヤの落ち着き、つまり微小舵領域の、そしてそこから少し舵を切っていくところ、保持するところの動きがかなり神経質だったり、高速直進が意外に苦手だったりした。あまり指摘する味見者はいなかったと思うが、993(空冷エンジン搭載911の最終型)と986(初代ボクスター)を乗り続けている古き佳きポルシェ・オーナー流儀を体現する我が工学のお師匠様などは、最初の味見で「これは、私の運転が今日だけ下手になったのか?」とその神経質さを看破したものである。現象を切り分け、エンジニアリングに照らせば、そうなる原因も見えてくる。そもそもは、ボクスターの前席床部分までの前半骨格を流用しつつ、その後ろに+2空間とリア・オーバーハングに移ったパワーパッケージをジョイントする、という996以来の基本設計を使い続けていることに問題が発しているのだけれども。それはこの実況の中でも追々に触れてゆくことになろう。

一般的な車両運動領域、普通の人が多少元気よく乗るぐらいまでの領域であれば、ライントレースから車線変更、さらに向き変えから旋回へと移行するレベルの操舵・保舵に対する手ごたえ(当然、十分な反力を持たせてある)、クルマの反応と動きの収まりなどはそれなりにしっとりしている。それに加えて、左右の前輪がそれぞれ別の凹凸を踏んだ時の進路の揺らぎ、ステアリング軸まわりのトルク変動は、このクルマではほぼ許容範囲まで小さくなっている。ただしこれはどちらかというとステアリング・メカニズムの中で、電動アシストの制御項に外乱に対する減衰を設定し、アシストモーター側からラックのスラスト方向に抵抗を加えることに、舵の動きの落ち着きを委ねている感触もある。日本の高速道路=ヨーロッパでは一般道の上限速度域では、中立保持のところからわずかに右左に手を動かしたところがかなりズシリとした手ごたえがあり、しかもそこからタイヤに向けた動きを作る最初のところで、粘る感じ、というか、本来はある種の弾性的な感触を伴うはずだが、ゆっくり動かすと少し重さだけが増し、わずかに渋い感じの手ごたえの中からステアリングが回る動きが始まり、その先でタイヤからの反力が現れるのに合わせてモーターのアシスト力が入って抵抗感が消え、タイヤと手がつながった重さとアシスト力が重なり合った感触になる。

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この「手ごたえが現れ、タイヤが向きを変え始める」ところまで、2Hzぐらいのリズムでステアリングを小さく左右に振ると、トーションバー・センサーのゲイン(タイヤとステアリング軸の間に発生する力の検出)がそのままアシストの制御に入っていく感じで、2、3周期続けた先で手が動いている方向と電動アシストの方向が逆転する瞬間がある。多くの日本車ほど剛性が低くもないし(2Hzレベルまで追従する車はほとんどない)、日本車のようにメカニズムと制御の両方ともが雑な感触でもないが、やはり回転するモーターでナックルアームの先端を押す、という基本機構そのものの弱点からは逃れ切れない。また、このぐらいの速さでステアリングを小さく動かすと、タイヤからの手ごたえ(と感じる重さの増加)が現れるところで、手の動きがタイヤの接地面まで達するまでの間に、それなりのたわみが存在することも感触でわかる。それは「そこにあるのが当たり前」のたわみ感ではあるが、タイヤのケースがたわみ・戻ろうとする反力がきつく現れる瞬間があり、またそのばね的な反力に、手前の操舵メカニズムのほうが押されてたわんでいる感触もある。ここでまず、「もっと素直にたわみ、しなやかに力を生み出すタイヤ(サイズ)だったなら…」という思いが始まる。

延々と、言葉での「舵感」再現を試みているが、この「手からタイヤ(接地面)まで」がどうつながっているか、は、クルマの横方向の運動をコントロールするという「ドライビングというスポーツ」で最も重要な部分において、さらに最も重要な要素であり、「スポーツする道具の感触」なので、ここはあえて深くこだわりたいのである。ポルシェの、あるいは様々な車の中で最良のパワーアシスト付きステアリングで最良のもののひとつは、いまだに964系列のものだと、私の手が覚えている。もっとも昨今の試乗感想書き手の中で、その感触を知り記憶する人士はずいぶんと少なくなっているはずだが。