Posted 31 Jan, 2020

VolksWagen Golf R ( 2014-2019 )

今日の「自ら操るクルマ」のベンチマークとして

Golf Rの、自動車として、より端的に言うならば「ドライビングと言うスポーツのための道具」として、そしてそれを実現するためのエンジニアリングとして、それぞれが「おそるべきレベル」にあることを語った例はほとんどないのではないだろうか。

そしてそれを身体の芯にまで染み込む感覚として実感しているユーザーも少ないのではないか。

なぜならば、その感覚を他のクルマとの体験と比較して言語化できないかぎり、このクルマの”凄さ”を自らの身体感覚として理解することは難しいからである。少なくとも、ここまでに存在した日本の、そして世界の自動車メディアの類型的「試乗記」のフォーマットしか書けない、読んだことのない人々にとっては、このクルマが体現しているものを表現する手法、言語は存在しないからだ。

しかし、「ドライビングというスポーツ」に、ごく初歩であってもふつうに取り組む感性を持つ者であれば、このクルマの持つ「凄さ」は既存のどんな「パフォーマンスモデル」とも違うものとして、言葉にはできなくとも容易に体感できる。

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だから、このクルマの「凄さ」を走らせてすぐに"こいつは何ものなのか⁈"、滅多に出逢うことがないその資質を、何とは語れずとも素直に体感する人は、女性が多い。その感覚をこそ、大切にすべきなのだ。

自動車メディアが俗っぽく語る表面的なスペックだけの”レポート”に、オーナー自身が味わっているクルマとの対話の大事なポイントの多くを削除してはめ込むことで、自分の身体全てで味わっている充足感を卑小化してはならない。あなたが乗っているのは「世界最良のクルマ」のひとつなのだから。

じつは、ドライビングのディテールにおいてパワーパッケージが、そして4つのタイヤの摩擦力のバランスがどう機能すべきか、そしてどのような技術要素において、どんな制御を、どう表現することで、何が起こるか、を知っている者であれば、よくぞここまでの動質を実現した、と頭が下がり、それを実現しえたVWとドイツ自動車技術の奥行きをうらやましく感じるところにまで、思いが至るはずなのである。私と、その仲間たちがこの十年余にわたって「こうすればできる」と開発し、確認し、しかし日本の自動車産業が理解しえなかった「動質を高めるためのエンジニアリング」の多くを、例えば、パワーパッケージの、本当の意味での「レスポンス」、4輪のグリップバランス…などが生み出すクルマならではの動きのディテールが、このクルマにはひとつずつ実装されているのを、私たち(動質と技術の関係を読み解く仲間たち)は確認している。

パワーパッケージもステアリングそしてサスペンションからタイヤに至るフットワークも、ドライバーの操作に、ということは、そこでドライバーがイメージしている反応(ほんとうの意味での「レスポンス」)と、さらにその先で現れる運動について、ドライバーがクルマという存在を自らの肉体の延長として、4つのタイヤの摩擦力のバランスによってこんなふうに動いてくれるはず、と感覚的に描いたものに対して、これほど正確に、かつある種のおだやかさ、寛容さを持って反応するクルマはまれである。コーナリング・プロセスひとつを取っても、まずブレーキングの減速度の現れ方からその中での車両姿勢、前後タイヤの接地感に始まり、ヨーイングの発生から旋回へ、その中での車両の運動と軌跡の現れ方が、ドライバーの操作に対して正確に、といってもドライバーの自己流、勝手な操作に対しては寛容ながらも雑な動きを現すのだが、タイヤへの荷重と働きかけによって生ずるす摩擦力の上で運動する、4輪車の「あるべき姿」に最も近い形で現れる。そういうクルマに仕上げられている。これを造った人々の、ドライビングに対する理解の深さと、それをいかなるエンジニアリングによって実現するか、という知見の広がりと深さについては、今日の自動車産業においてもなかなか比肩するものはない、と実感させられることばかりである。

ひとつの側面として、このクルマのノーマルおよびエコモードと、レースモードの切り替えを行ったときに現れるパワーパッケージとフットワークの明瞭な変化、これを「しなやかな筋肉を持つ都会人」と「トレーニングを積んだアスリート」のような「二面性」として捉える人も私の周りには多い。それはそれで正しい。しかしこのクルマの「動質」とそれを生み出すエンジニアリングの進化は、それよりさらに深いところにあると思う。